アグロメモ

イラストと日記

【父のこと】父と母のこと

父のこと、覚えておきたいし、どこかに残しておきたいのでここに書いていこうと思います。

ずっとツイッターの下書きに書いていて、それが最近消えてしまったのでこちらに思い出しながら書きます。思い出しきってないところもあるので、そこははてなマークを書いておいてあとで明確にします。

 

父と母のこと

父と母はサークルで出会いました。母のほうが年はひとつ下ですが、父は留年したため二人は同学年でした。当時学生運動真っ只中、デモに参加し留置された結果留年になったそうです。

母は体が小さいのでデモは無理であろうと、父は捕まったばかりでまた捕まるのはまずいと、裏方のような仕事?を一緒にしたそうです。そのうち、二人はお互いのことを思い合うようになりました。父はそこそこモテて(サークル内での話なので、まあお察し)、留置中にお弁当をくれる女の子も別にいたそうですが、母が小さく可愛かったので付き合ったそうです。入学した頃、父は母を見て「小学生が遊びに来たのか!?」と思ったそうです。それと付き合うのはどうなのか。

結婚当初、父は仕事を見つけてもすぐ上司と喧嘩してしまい辞めるので貧乏だったそうです。母に付き合っている人と仲良くする秘訣を聞いたとき、「そんなものはない。当時は貧乏で、なにもなくて、夫以外に大事にするものがなかった。今の人はいい意味でも悪い意味でも、他にやれること、大事なことが多くて大変だ。」と言っていました。確かに当時はまだバブルでもなく、その日暮しの人が多かったのだと思います。そんなに危機感もなかったのか、父は好きな仕事をして、母はそれを待つような生活だったようです。スキーのシーズン中は自分が滑るのも兼ねてリフトの監視員を泊まりでやって、家には帰ってこなかったそうです。

父が定職に着いたのは姉が産まれた後です。仲が悪かった祖父の元で、職人として働くようになりました。社長の息子がフラフラした後に自分たちの仕事に入ったのを良く思わない人もいて、いじめのようなものもあったとちらりと聞きました。でも父はそれ以降、病気になるまで職人の仕事を続けました。

母が二人のことでよく話すのが、初めて母方に父が挨拶に行った時の事です。元々予定になかったのに、父が母の里帰りに急に一緒に行くといい、着替えも持たず、文庫本一冊持って着いてきたそうです。普段怒らない祖母もこれには驚き母に対し「なんて甲斐性無し連れてきたんだ」と言いました。対して祖父は、なぜか父と気が合ったようで喜んで話をしたようです。?ここもうすこしなんかあったはずなので加筆します。祖父は父と本当に仲が良くて、お酒が苦手だった父を採れたての肴と美味しい地酒でもてなし一日に一合は飲む人間にしました。父はよく、老後は母の故郷に住みたがっていました。母は照れなのか本当に嫌なのかわかりませんが、あんな暗くて寒いところは嫌だ、と言っていました。

 

盛大な結納を期待された お盆の上にしょぼっと 親戚はよんだ スキーやけの真っ黒な顔 床の間と隣の部屋があふれるほどの結納品が普通 父はでけえかまぼこもったまま万座にいった 大学まだ卒業してなかったかも

 

 

父と私のこと、祖母・祖父と父のこと

も書きたいです。